ゆめのあと

情緒不安定なオタクです

とある声優に恋をした話

タイトルの通りです。とある声優に恋をしました。恋と錯覚のちがいを証明することは不可能ですから、もしかしたら錯覚かもしれません。けれど、恋かもしれない。それならわたしは恋だと言いたいです。言わせて。だって、中学生高校生をとうにあがっているわたしが声優に恋をするという涙が出るくらいの痛々しさは最高の喜劇になりえるとおもうから。わたしの恋をどうか笑ってほしいのです。それだけでわたしの恋に存在価値がうまれます。

恋に落ちたきっかけはきわめてありふれたものでした。ライブ中に目が合った。それだけ。ほんとうにそれだけの話なんです。彼にとってはわたしと目が合ったことなど記憶の端にすら残っていないでしょう。それでも、わたしにとってはあの瞬間が永遠だった。ほんとうにあっさりとすべてを持っていかれたのです。

恋をしてからというもの、わたしは性格が悪くなりました。もともと自分はいい子だという自信はありませんでしたが、少なくとも善人であろうと決めていました。善人であれば自分のことを好きになれると信じていたのです。けれど、無理をして取り繕ういい子の自分を好きになることはほんとうに難しかった。演じれば演じるほどに表面上の善人とほんとうの自分が乖離して、わたしの心はぐちゃぐちゃでした。どれだけ褒められても好きだと言われてもほんとうの自分に届かない感覚はいま思い出してもぞっとするほどに冷たいものです。

それを救ってくれた人が彼でした。自慢ですがわたしは妄想だけは人一倍に得意です。その特技をいかしてわたしがしたことは、わたしと彼が付き合っている世界を想像上に創り出すことでした。そこ、引かないで。あと訴えないでください。名誉毀損で負けます。わたしは脳内でたくさんたくさん彼に好きだと言いました。彼もわたしにたくさんたくさん好きだと言ってくれました。なんとなくわかっていただけるとおもうのですが、わたしは現実世界で彼は付き合いたいとおもったことはありません。嘘です。付き合えるなら付き合いたいけれどそんな可能性があってはいけないのです。彼はわたしと付き合うほどに安い男ではありませんから。

好きだ好きだと言われるほど、わたしの中で張りぼての自己肯定感が育まれていきました。わたしはありのままの自分を出してみてもいいのではないかな、だってありのままの自分も彼は好きだと言ってくれるもの。そういう心境になりました。わたしは鍵付きのツイッターアカウントを開設すると同担が憎いというようなことを呟きました。すっきりした。だれかのことを憎むことはわたしの中でずっとずっと禁忌だったのです。それを犯して、わたしは善人ではなくなりました。そんなわたしのことを彼はやっぱり好きだと言ってくれました。わたしと彼の空想上の惚気もたくさんしました。彼はにこにことそれをながめてくれました。そしてなによりわたしの幸いは、そんな鍵付きのアカウントに招待したフォロワーのだれもわたしの恋を否定しなかったことです。だれもわたしのことを否定しなかった。泣けてきた。

彼女たちだって、まさかこの恋が叶うことはないとわかっています。それでも応援してくれるのです。それだけでわたしは恋をしてよかったなあとおもっています。ねえ、愛してるよ。わたしのことを真剣にあるいはおもしろ半分で見守ってくださるあなたのことを彼と同じくらいにわたしは愛しています。これからも惚気るからよろしくね。そんなラブレターでした。かしこ。