ゆめのあと

情緒不安定なオタクです

死ぬまで一生

愛されてると思ってたよ!

 

クリープハイプの「愛の標識」の歌い出しから失礼いたします。うとうとしているので久しぶりのガチ恋日記です。書くことはどうせいつもと変わらないとおもいます。わたしは推しのことを好きだと言うことしかできないので。

推しのことが今日も好きでした。ばかみたいに好きでした。昼食のマフィンを食べているとき、庭に出て煙草を吸っているとき、強い日差しの中を歩くとき、こうしてベッドの上で横になっているとき、わたしの頭の中を占めているその八割が推しのことです。推しはいまなにをしているのだろう。笑っているのかなあ、苦しんでいるのかなあ、疲れているのかなあ。だれといるのかなあ。だれといたいのかなあ。

わたしにとっての推しはただひとりです。けれど、推しにとってのわたしは大勢いるファンのうちのだれかです。それは悲しいことだけれど、同時に気楽だということも知っています。責任をもたなくてもいい恋というものは、ほんとうにかんたんです。好きでいても、嫌いになっても、飽きてしまっても、だれを傷つけることもありません。わたしが推しを応援することをやめたとして、わたしの生活以外のなにかに影響が出ることはないのです。だいたい叶うはずのない恋というものは最初から失恋しているようなものです。底辺からのスタートです。これ以上に落ちることはありません(浮上することもないけれど)舞い上がったり期待したりした結果、墜落して怪我をするという危険性は皆無なのです。わたしは安全な場所で、自分の選択で、自分勝手に悲しいと喚いているだけにすぎません。そう考えると滑稽だなあとおもいます。

それでも、真剣なんだよ。推しのことが好きです。明日もきっと好きです。なにを食べたのだろう、どこにいるのだろう、暑さで体調を崩してはいないかな。お仕事はうまくいったのかな。そんなことを考えながら一日を無為に過ごすのだとわかっています。もっとも推しのことを考えることをやめたとして、その代わりにしたいこともないのだけれど……ああ、そうか。それだと推しのことを考えているから日々が無意味なのではなくて、日々が無意味だから推しのことを考えているのかもしれませんね。卵が先か鶏が先か。結果としては同じですから、どちらでもいいのだけれど……推しに会いたいです。あと二週間もしないうちにホールで会えるのだけれど、そうではなくて、偶然にどこかで出会いたいよ。

わがままだとはわかっています。彗星が地球に降るよりもその願いが成就する可能性は低いということも、理解はしている。納得はしていません。占いにだってわたしの運命の人は自身の大きな夢を追いかけて夢の舞台に立っている人と書いてあったのだから、必死に想い続けていれば神様が蜘蛛の糸を垂らしてくれないかなあ。この地獄から救い出してくれないかなあ!

今夜も推しの夢が見られたらいいな、とおもいます。おやすみなさい。